奥沢の駅で電車を待ちながら、深いオレンジ色から紺色に至る綺麗なグラデーションの空を眺め
ここ数日の好調ぶりを思い返してしみじみと幸せな気持ちになる。
幸せなんて大したことはなくて、ただ空が青かったり、ちゃんとヨガに通ったりパンを焼いたり、
美味しい煮物を作ったり(牛すね肉が美味しく煮込めたのです。ルクルーゼにまたしても感動)、
友達に会ったりすることだったりするだけなんだけれど、
そこに人との関わりが含まれていることにしみじみと幸福感を感じる。
そういうのは、字面や平面では捉えづらい価値なんだと思う
(そして、わたしの場合そこを文字にしていないのもある)。
Webの世界に浸かっていると、検索、というスペックベースのモノの見方探し方が先行しがちだけど
触れた感じのテクスチャーや立体的に見たときの存在感を意識した全体構成が大切、という
インテリアの世界の話を伺ったときにわたしたちは空間に生きている、という事実を忘れてはいけないと思った。
友人の赤ちゃんを抱っこして、その温かさとささやかな重みにもそんなことを感じたりする。
説明のつかない良さ、みたいなものは伝えるのが難しい。
けれど、説明がつかないから省かれて良い、ということではない。
仕事で、赤入れする際には気をつけねば。Webはある意味平面的だ。触感を忘れそうになる。
最近良く言われる。『最後までやり遂げそうなひと、転じて、メゲないひと』ブランドがついているらしい。
確かにメゲない。そういうときって、わたしはかなり引いた目で自分を見ていたりする。
でも、喰らうもんはしっかり喰らっている。わ、こりゃどうしようもできないわーと思いながら。
ここのところは会う人会う人に人生不況を自ら申し出るくらいで、挙句、ひっくり返るぐらいの、
なんていうんだ超絶スーパー他にも形容詞があればみんなくっつけてしまえ的な大暴落に見舞われた。
不況のときはまだ良かった。前に進む方法を間違えながらも考えていた。
大暴落したら、一切の思考回路が止まり、あまりのインパクトにうろたえた。
そして少しして、その思考回路自体が暴落を招いたことに気がついた。
年を重ねていくにつれ自分なりの思考プロセスが出来ていて、それでうまくいくこともあるけれど
今はプロセスそのものを変える必要があった。プロセスは道筋でしかないことも思い出した。
起承転結でいったらいきなり承、とか転を省いてしまえみたいな、
ドラスティックな展開を取ったら案外上手くいくもんで(結に至ることを目指すだけ)、
本人時によろめきながらも多分この構造不況は収束するんではないかと思う。
ドラスティックな展開を取れたのは、まるで紙っぺらのようになったわたしであったとしても
話せる会える関係性があったから。安心して動けることをありがたいな、と思う。
エクレクティックという言葉を最近覚えたのだけれど、取捨選択、編集、折衷、
色んなことを柔軟に使いたい(現状、使えないからメゲかける事態に陥る・・・修行まだまだ)。
Ailaで日向と日陰の話を聞いたり、
銀漢亭でマスターから俳句の世界を教えてもらったり、
LOBOSではパエリアを食べることを途中から忘れるくらい話したり、
cociでは原点を思い出し、背筋が伸びた。そんな12月で良かった。
サッカー観てて、アンリのハットトリックに感動した夜に。
移籍して、得意なスタイルを変えた上で完璧な仕事をするってすばらしい。
自分がひっくり返ってる場合じゃなくて、ひっくり返さねば、なにごとも。