文字が書けないのは、師走だからよ・・・ということでばたばたっと過ごす。
夜はめっきりだ。色々あるし、眠たいし。
久しぶりに会えば、マダムっぽくなったという評価を頂く。そうだよね、と思う。
間違いなく、毎日わたしは年を重ねており、そして、毎日若さを手放していく。
若さならではの疾走感とか、方向付けが追いつかないエネルギーとか、
そういうのは他の世代に任せようと考えるようになってきた。
ゆっくりと、わたしの役割は変わりつつあることを、
そしてそれは、思っていたのとは異なり実に前向きで楽しいということを知る。
来年のテエマ(毎年なんとなく立てる、漠然としたコンセプトです)は、『ディープに、彩る』です。
今年のテエマ『ひらく』でひらけたコトが沢山あり、今年さかんに行ってきた破壊活動は控えたい。
動機づけって大事なもので、こうして文字に落としたりすると、不思議なもので案外そうなっていく。
壊して創った物事を、大切にしていく年でありたいな、と思う。
夜は書けないため、いただいた
永田珈琲を淹れて、朝から書き出すことにする。
まだまだ、みっちり書こうと思う。
今年は美味しい珈琲に沢山出会った。大阪の
土居珈琲、茨城の
サザコーヒー、そして、小平の永田珈琲。
その土地に密着した『美味しい』を紹介されると幸せな気持ちになるのは
わたしの生まれと育ちが東京にあることが影響しているのだろう、と思います。
その土地の経済圏で成り立つということは、おそらくは周囲の人たちによって成立しているわけで、
その土地じゃないと分かち合えない何かが満ちているのだろうと思うのです。
その土地ならではの世界にちょこっと参加できるような気がして、
集合体のまちに育ったわたしには、それはちょっとした憧れに似た感覚なのです。
かつて聞いたことがあった雑誌
エルマガジンが最終号、と聞いてバックナンバーを取り寄せたのも、
そんなところにあるのかもしれないです。自分にはない空気を知っていたいのです。
RENTを観る。もう、6回くらい観ている。日本版、意外と良質。声質がそれぞれ合ってた。
はじめて観たときは大学生だったので随分時間が経ったけど、このお芝居が風化しないのは
若いということ、の本質が変わらないからだと思う。昔は共感しきり、で感動していたけれど
成功も、挫折も、夢や憧れを持てる環境があったからで、今は、その環境を創ってあげたいなと思う。
本人は気づいていないけれど、未熟なまま走るって、その場があるって、生きていくうえで大切なことだ。
今回観た中での発見として、
狂言回しのマークが『僕だけは、何も無い』といったニュアンスのことを言い、
そして、彼の出身が明確にScarsdale(ニューヨーク州)とされている設定に秀逸さを感じた。
彼らはNYを世界の中心、と言ったけれど、東京にもこういう発想の子は多くいると思う。
色々手に入るから気づかなかったけれど、自分自身では何も得ていないことに気づいた時から始まる焦り。
意志なくして得られたものが多いと、自分を見失う。どこにいても確かに得た、という感触は持っておきたい。
でも、集合体のまちにいても、少しだけかもしれないけれど色んなことを築いてきて
年の終わりに集まって(鍋、各種囲む。
名古屋コーチン鍋とか、
シシリアントマト鍋とか)、
美術館は
庭園美術館にも行って、
空也の最中や
LINTAROのチーズケーキを紹介して、
『
私という運命について』という本を頂いて、読んで、わたしも時代を生きているんだな・・・と感慨深くなる。
来年も楽しくありますように、と手帳を買って色々書き込む。
洗濯してコーヒー片手に、ほわわわわんと過ごす朝に。ラジオからはスピッツ。
我が家は朝にいちばん陽が入るので、ひなたぼっこも出来る。んー、平和。んー、幸せ。
陽に当たるだけで随分と心持ちは変わる。本来はそんな単純なことばかりだ。